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朝ドラ エール 88話 89話

88話はビルマ、藤堂先生が戦死した回。

89話は豊橋が空襲で岩城と梅が??の回。

朝ドラ102作の歴史で本格的戦闘シーンが出るのは戦後75年.昭和95年の今年が初めてらしい。確かに朝から銃声一発で兵士が頭を撃ち抜かれて倒れるのはそもそも朝ドラでは無いよね。

千葉県の南房総あたりの山林でロケやったらしいけど、もともとあっちのほうは第一空挺団の演習で実際に19日間の山歩きをするような場所。そこに南方風の植栽と昔の軍用トラックを持ち込んでロケらしい。

戦争映画あるあるで、なんでこの主人公は今風な髪型をしているのか、この時代にこんな髪型がある訳ないでしょという奴。エールで言えば裕一であり藤堂先生。戦争映画の主人公がしっかりと坊主頭にしているのかどうかというのがその映画、そのキャスト本人のヤル気を測るバロメーター。うっかり俳優が役作りの為に坊主頭になってしまうと、そのあとの他の出演ドラマに響くと困るのでというのでやむなしだけど。

まあ朝ドラなのでその辺はアレだけど。

閑話休題。この二話はエールの主題曲が流れないところからも内容が充実というかクライマックスではあったし、88話もどこまでやるのかというところで注目していた。流石に朝ドラの制約の中では限界まではやったなあとミリヲタ的には感じる。軍事考証、時代考証的に同時代の他の映画と比べて衣装、装備はどうだろうかという着眼点。

硫黄島からの手紙とか、太平洋の奇跡とか、どうだったかなと一瞬思いましたけど、まあそこはそことして。

敵の銃口がぬっと出て来て銃撃だけど、あの銃口は気になりますね。あれがでたらめなその辺のモデルガンだとしたらがっかりですけど。

 

感情移入的にはかなりのめり込んだ、思わず涙腺が緩む奴でしたかね、この2話は。まあ古関裕而も良くも悪くも時代に使われてしまった、民衆を戦争に駆り立てると言われても、そもそもプロパガンダなので。聴きやすい、覚えやすい、歌いやすいの3拍子が揃って戦争指導者的にはあまりにも好都合だった。軍歌ってのは伴奏とか何もなくても、みんなでその場ですぐに歌えるような曲作り。紺碧の空とか六甲おろしが同じ作曲家による事を思えばそりゃそうだわって妙に納得せざるを得ない。昔から軍歌はよく歌ってるけど古関裕而の生涯がこういうのとは知らなかった。

 

今年の紅白は森山直太朗ビルマ派遣軍の歌を歌うということで決まり(違

 

父親は昭和13年生まれ、弱ってしまったけどまだ元気。昔、車に乗っていて、軍歌聴いていたら、暫く黙っていた父が、おいこの歌やめろと大声を出したのを思い出した。この頃は自分も軍歌にのめり込んでいたのでうるさいと思っていたが、今思えば父の言いたい事は分かるように感じる。10年くらい前だろうかね。

父の幼児時代の写真、大日本帝国海軍の水兵帽を被って旭日旗を持って大家族で写っていた。良くも悪くもそれが普通の時代。写真館で撮ったのだろうけど、それが何十年後にも写真が残っているのは凄い。今の写真はみんなデータ保存だけど記録装置が使えなくなったらおしまいだからね。

 

ちなみにビルマ派遣軍の歌ってのはYouTubeでもほとんど無かったつい最近まで。関東軍の歌、台湾軍の歌、支那派遣軍の各種みたいのは前からあったんだけど。

元々なんで軍歌を歌うようになったかというと、小学生の時にのらくろの復刻版を全部読んで、漫画に出てくる歌詞がその当時はどんな曲なのかさっぱりわからなかった。後年YouTubeで歌詞と曲が一致した時に、これか!!と眼から鱗状態だった。

最近に例えると、元自衛官芸人のトッカグンの動画で、そのこ三曹(元自衛官)が執銃教練で担え銃のときに、手にドルチェ&ガッバーナを持って歩くイメージとか言っていて、それが後から瑛人の歌と一致したときの衝撃と同じ、そんなイメージかと(どんなだよ

 

今日は急に仕事が休みになって特段にやる事もなく天気もイマイチなのでつらつらと書いた。Twitterでは書ききれない、インスタでも言い切れない話はやはりブログかと。セカンドライフの為にも幅広くやっていきたい。